地響きがする──と思って戴きたい

どすこい(安)

暇つぶしに良いか、と思って買ってきた京極夏彦「どすこい」。
しかし、読んでみるとこれはとんでもない代物だったのである。

「テンポと間合いが要」とされるギャグの世界に、冗長な語りをさせたら天下無双の京極夏彦
一見水と油にも見えるこの両者の組み合わせが実現した時、その陰と陽が読者の脳内で不可思議な化学反応を起こしてスパーク…

…と、煽るまでもなく、とにかく「超」がつくほど下らないナンセンスギャグ小説。
なるほど、世間の京極ファンがこの作品だけは「なかったこと」にしたがっている理由がなんとなく分かった気がする。

とにかく、文章が無駄に長い。
物語としては破綻ここに極まれりというくらいに徹底的に壊れている。なのに、一遍あたり50ページ以上もの文量がある。
「文量を極限まで減らすことでギャグの切れ味を保つ」主義(自称)の火浦功あたりと比べると、チーターと亀──あるいは、カールルイスとデブくらい──の差なのだ。

ただ、確かに「読む価値のある作品である」というまでの評価は出来ないけれど、この作品は京極夏彦がテクニカルな側面においても優れた物書きであることを再確認できる面白いテキストではないか、とも思う。
多重構造・メタ小説といった技法は泥縄連載とは思えぬしっかりとした構築になっているし、駄洒落や反復テキストの妙味などは清涼院流水にも見習って欲しいほど。技量ではないが、「ナンセンス」を生み出すセンスもなかなかどうして普段のイメージとの落差も手伝ってニヤリとさせられるものがある。
作中で本人が書いている「嗤う伊右衛門」との相関性も興味深い。

た・だ・し。
それは、強引に解釈すれば「そういう面もあるかも」というだけの話なのである。
だから──怒らないで戴きたい、と言われても、やっぱり怒るよなぁ。