『エナメルを塗った魂の比重〜鏡稜子ときせかえ密室〜』

エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室 (講談社ノベルス)

今更引っ張り出してきて感想を書いてみる。しかし、退化した記憶力ではもうほとんど内容を覚えていないので、微妙かもしれない。

第一印象としては、第一作である「フリッカー式」に比べて、格段に作者のレベルが上がっている感じを受けた。十分に個性を残したまま、普通に面白い作品に仕上がっている。
90年代のB級18禁ゲームのように印象的なシーンだけ羅列されて強引に引きを作った後、破綻しきった強引な結末に落ち着くという構成も、作者の特性を考えたらむしろ正統な手法であろうと納得できてしまう。男三人組などをはじめとして人物の書き分けがやや弱い気がする点も然りである。

一言で内容を表現するなら、R15版「ブギーポップ」。
帯の推薦文を上遠野浩平に頼んだ編集者はスゴイと思う。
腹を切って死ぬべきである

R15版「ジョジョ」ではなく、「ブギーポップ」であるところが、またこの作者の特性に…まぁ、その辺はどうでもいいか。もはや*1

ネーミングセンスや比喩表現は、オタク知識を相当必要とする部分があって、その辺のピーキーさに大笑いしつつも戸惑う部分がなくは無いのだが、主要読者層には概ね理解されてるんだろうと思うと、なんとも複雑な気分ではある。
しかし、「綾香さんがキュベレイなら、この人たちは旧ザクです」ってのは名言だなぁ。綾香というネーミング(まぁこれも伏線ではあるか)まで含めて。

しかしまぁ、これだけ褒めておいてなんだが、ひょっとしたら単に自分が美少女学園モノ(ぷちオタク)を好きなだけなのかもしれない、とふと思ってしまった。それはそれで別にいいんだけれど。

とりあえず、次の「水没ピアノ」は購入済み(読みかけ)なので、最高傑作という噂の囁かれる『クリスマス・テロル』までは頑張って読もうと思う。

*1:ブギーポップを読んだ時、「メーテルが被っているような帽子」という表現に強烈な拒否感を感じたものだが、今や「ブギーポップが被っているような帽子」という表現が漫画やらで出てくるようになって、そんなものなのかなぁ、と思うようになってきた。