五輪の書

と言っても剣豪漫画の話でもなければ探偵大説の話でもなく。
過日行われたK-1WGPのお話。

かつて「壮絶なKO劇」を売り物とし、アーツ、ホーストなどといった魅力溢れる選手達が繰り広げる戦いで一躍新世代の格闘技ブームを呼び覚ましたK-1
だが、マスメディアの必死の持ち上げも虚しく、今回のWGPは「K-1はもう終わった」という印象をファンに強く与えてしまったようだ。

言うまでもなく、その最大の理由は不可解な判定。
判定で敗れた選手が(勿論、観戦したいたファンも)皆口をそろえて「『戦いとは別次元の力』によって勝利を奪われた」などとコメントしてしまっているのだから、これはもう完全な八百長芝居である。
そこにきて、更にファンを苛立たせているのは、その八百長が明らかに「武蔵」をヒーローとして売り出さんとする強引なプロデュースの産物であることが、あまりにも露骨に見えてしまうことだ。

マネートラブルによるリーダーの失脚、有力選手の流出、ライバル(PRIDE)の台頭…。確かに、K-1を取り巻く環境はここ2,3年急激に厳しくなっている。
失われつつある人気を挽回するための方策として、素人にも名前の売ている人物や、感情移入しやすい日本人選手を中心に据えた画面作りをしたくなる、という気持ちも十分理解できなくもない。
だが、そうした「オトナの考え」が、K-1の唯一の宝であったはずの「豪快な試合」というソフトを損なってしまっているのだから、皮肉なものである。

(続く)