人権擁護法案

正直な話、これ関連で最近鬱になってる。
日本の若者がここまで洗脳に弱いとは思わなかった。
(同時に、政治運動の世界におけるネットへの布教活動・世論誘導がこれほどまでに浸透しているとは思わなかった)

確かに人権擁護法案には穴があり、過剰な言論統制に繋がる可能性が高い。
いかな民主主義・人道主義の国家においても、運・実力によって様々な格差が生じるのはどうしても避け得ないことである。
自堕落な敗者が自らの現状を「差別されている」と安易に口にするのは、公平・自由という理念をむしろ汚す行為に他ならない。
(在日で部落出身の人間だからこそ、そうした現状があることはよくわかっている)

しかしながら、自由・公平という理念が、何らの努力もなしに与えられるものだと思っている日本人の現状は、それ以上に冒涜的だ。
特に、ネットの社会的地位が向上するなか、先鋭化する言論に何ら規制の手が及んでいない実情は、憂慮すべき事態である。

多くの若者達は、この法案に反対する過程で自分達の発言に責任を負いたくない、と主張している。
ネットは公開網である。そこでの発言が社会に与えた影響には、当然『責任』を負わねばならないし、匿名性の高い領域においては、「自主的な規制」を高いモラルの元行っていく『義務』がある。
そうした議論をすることなく、ただただ自分達の自堕落な『自由』を肯定して欲しいという欲求を声高に述べるだけの運動が多々見られるのは、大いなる矛盾であるということに気づかないものなのだろうか。

一番の問題点は、この問題への抗議活動が外国人排斥運動と強力にリンクして進められていること。
糺すべきは権力者が都合よく言論の自由を捻じ曲げる事のないよう監視することであり、外国人との共存のありようについて、自由に議論する場を維持することなのではないのか。

ネオナチの人が日本の若者たちの現状を見たら、涙を流して羨む事だろう。
そして、これほどまでにヒトラーの意思・理想を受け継ぐ若き新鋭隊員達が海の向こうの見知らぬ国で育っていた事に、密やかな誇りを抱くであろう。