続・五輪の書

K-1没落の象徴ともいえる男「ムサシ」

「今やK-1を代表するファイターであり、日本を代表する格闘家である」
…というのが、現在の彼を表現する興行側(及び提携するメディア)の表現なのだが、現実的は厳しい。実際には、K-1ファンの間からでさえ「No.1塩っぱいファイター」との有難くない称号を奉られ、誰もがその一刻も早い引退を願っているという、散々な有様である。

言うまでもなく、その原因は、ムサシのファイトスタイル。
「体格・体力で劣る日本人が正面切って打ち合うのはナンセンス」という独自の理論の元、徹底したアウトサイドからの攻撃で着実にポイントを稼いでは判定に持ち込むという彼の戦い方は、「K-1のKはKOのK」とまで豪語していた団体のエースの有り様としては、激しい自己矛盾を生じる結果となってしまっている。

ムサシの理論、ムサシの戦術自体が間違っているわけでは決してない。
むしろ、実際に結果を出して上がってきた事実が、彼の説の正しさを裏付けているという見方すら出来る。
そもそも、ローマ市民は戦いが過酷かつ陰惨であればあるほど盛り上がることもできようが、命がけで戦う剣闘士達にとっては「負け=死」のリアルな戦場なのだ。
「負けない方法」を追求すること自体は全く持って正当な行為。ボクシングでアウトボクサーを卑怯者と罵る者などいはしない。

だが、同時に、彼が「K-1」というムーブメントの顔役としてその理想の体現者たることを求められていながらそれを裏切り続けている、という事実に気づいてもらいたいのも事実。
「審判によってその勝利を期待されている」者が、勝敗をその審判の手に委ねては絶対にいけないのだ。

(中断)